2013年7月16日火曜日

ZARDとWinkに共通するもの

【解説】

3人とも創価学会のメンバーだったらしい。
そして、彼らに共通するものは、世間の常識に迎合することなく、
自分たちのアートの世界を守って、自分たちのスタイルで
音楽活動を続けたことだと思う。

ZARD(ザード)は、作詞・ボーカルを務めていた坂井泉水

中心とした日本の音楽ユニットである。

ただし、ユニットとなっているもののレコーディング時の

メンバーは坂井以外は楽曲毎に入れ替わっており、

実際は彼女のソロプロジェクトとなっている。そのため、

坂井泉水自身と同義に用いられる場合もある。

坂井の死去後は残された音源を元にアルバムの制作や

フィルムコンサートなどがプロデューサーの長戸大幸

中心とする制作スタッフによって行われている。

所属事務所は泉水(SENSUI)。



【解説】

ZARDの坂井泉水とこ、蒲池幸子さんが、死亡したとき下記のような
新聞記事がでたが、死因が釈然としないまま、現在に至っている。
私が推察するところによると、彼女は、タミフルのような
薬を服用していたのではないかと思われて仕方がない。

【27日に脳挫傷で急逝した人気音楽ユニット「ZARD」のボーカル、

坂井泉水さん(享年40、本名・蒲池幸子)の死因に

さまざまな憶測が飛び交っている。ある音楽関係者は「身辺整理をしていなかった。

詞を書くなど、復帰に前向きだった」と自殺説を完全否定するが、

入院先の病院関係者は「自殺しかあり得ない。

病院側の管理責任が問われる」と明かす。

滅多に表舞台へ姿を見せず、謎の多かった孤高のシンガーの最期は深い闇に包まれている。

 自殺と事故の両面で調べを進める警視庁によると、

坂井さんは26日午前5時40分ごろ、東京・信濃町の慶応大学病院の駐車場で、

頭から血を流してあおむけで倒れているところを通行人に発見された。

坂井さんは病棟脇にある非常用スロープ(高さ約3メートル)から転落したとみられている。

 慶大病院の関係者は次のように明かす。

 「患者があれほどの早朝に、非常通路に出入りすることはない。

しかも、雨が降る早朝に散歩することも不自然だ。

自らの意思で乗り越えたとしか思えない。

状況から考えて自殺ではないのか。病院関係者の多くがそうみている」


 坂井さんは現場となったスロープのある病棟の4階に入院していたが、

病棟からスロープへは施錠してあるため、直接出入りはできないという。

 この関係者は続けて、「患者に自殺を許してしまった病院側に

管理責任問題が問われる可能性もある」とも話す。

 警視庁の発表によれば、坂井さんが手すりを乗り越えた痕跡が

見つかっており、「足を滑らせた」と発表した事務所側のコメントと大きく矛盾している。

 一方、音楽関係者は「遺書もなかったし、病室が整理された様子もまったくない。

病室では詞を書き留めたり、秋ごろをめどに、ツアーやアルバム製作を予定するなど、

復帰にはとても意欲的でした」と真っ向から自殺説を否定する。

 坂井さんは発見時、私服で病室のベッドにはパジャマが脱ぎ捨てられていた。

さらに、坂井さんはファンクラブの最新の会報にも「体調は思わしくないが、頑張っている」と

前向きなメッセージを寄せていたといい、生前、自殺の兆候がなかったことを物語る。

 乗り越えたとされる手すりは1階部分で、警視庁では「自殺で3メートルの高さは低すぎる」と

漏らす捜査関係者もいる。

坂井さんが手すりに腰掛け、誤って転落した可能性も含めて調べているが、

目撃者もなく、死因の断定には時間がかかりそうだ。】

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【解説】上の写真は、ずいぶん若い時の写真ですね。彼女って、
八重歯があったんですね。私の知っていたZARDの坂井泉水は、
八重歯なくてきれいな歯並びなんですけど。
歯列矯正でもやったんですかね。





 
 
 
  
Wink(ウィンク)は、1980年代後半から1990年代中期にかけて活躍した、
日本の女性アイドル・ポップス・ユニット。鈴木早智子相田翔子の二人組。
現在は活動休止中。
 
従来の女性アイドル歌手とは趣の異なる控えめな 
キャラクターで無表情に歌い、オルゴール人形のような衣裳
五十嵐薫子(現・香瑠鼓)[1]による振り付け 
(「ロボットダンス」と評されることもある)で
 
「純真な少女の持つ不可侵的な色気」といったイメージを醸し出した。
後年、二人は「無表情だったのは(事務所の)戦略だったのかと
 
今でも聞かれるがそういうわけではない」
「自分たちは振り付けを覚えるのが精一杯で笑顔まで気が回らなかった。
 
事務所の社長にはもっと笑うよう言われていた」 
という趣旨の回想をしているが、
 
結果としては「無表情に歌い踊るマリオネット」という 
特異なスター・イメージで一世を風靡した。


鈴木早智子のプロフィール

  • 愛知県名古屋市で、3兄弟(4歳下に弟、8歳下に妹)の長女として生まれる。その後東京都目黒区埼玉県草加市と転居が続く。幼少の頃から歌手に憧れていた。
  • 1986年、第1回「ロッテCMアイドルは君だ!」コンテストに出場し、最終選考まで残る(この時のグランプリは立花理佐)。
  • オスカープロモーションに所属するが、入学した高校が芸能活動を禁止していたために自主退学。アルバイトとレッスンの日々を送る。
  • 1987年7月、ワニブックス社の雑誌『UP TO BOY』の第7代ミスアップ・グランプリを受賞(第9代グランプリが後にデュオを組むことになる相田翔子)。
  • 1988年4月、相田翔子と結成したWinkとしてシングル『Sugar Baby Love』で歌手デビュー、1996年まで活動する。アルバム内のソロ楽曲ではクール・アンド・ザ・ギャングのカバーや来生たかおの提供曲などを歌っている。また鈴木本人もMiyoko.Aというペンネームで数曲の作詞を手掛けている。活動中から相田と同じく単独で映画、ドラマにも数度出演。
  • 1996年のWink活動停止後は、プロダクション尾木系列の尾木エージェンシー1998年4月、ネバーランドに改編)に移籍し、ドラマや舞台で活動。
  • 歌手活動からしばらく遠ざかっていた1998年5月から、テレビ東京リアリティ番組ASAYAN』で、小室哲哉プロデュース権を賭けた「再起に賭ける芸能人」[2]に出演。ニューヨークで共同生活をしながらレッスンを行う企画であったが、鈴木は共同生活を拒否したり、レッスンの途中で退場したりするなど周りと同調しない様子を見せていた(←なお、鈴木はレッスン当初からニューヨークで単独生活することが、『ASAYAN』のスタッフから確約されていた[3]。しかし、単独生活については他のレッスン参加者に最初から伝えられておらず、ニューヨーク到着初日に鈴木からレッスン参加者に直接伝えるよう同番組スタッフに命じられていた[3]。鈴木のレッスン風景のほとんどが放送でカットされ、彼女のレッスン中の小休止の部分が強調された結果による上記の行動は、『ASAYAN』によるやらせ演出であり、これら一連の『ASAYAN』の「再起に賭ける芸能人」の演出は、『単独で出演したバラエティー番組での「許せなかった出来事」』と、後年自著で述べている[3][4]
  • 同年8月上旬、『ASAYAN』の「再起に賭ける芸能人」のニューヨークでのレッスン後半、バンダイ・ミュージックエンタテインメントからCDリリースの打診を受け、「再起に賭ける芸能人」を離脱(中途帰国)した。
  • 同年10月、Wink活動停止後初のソロ・シングル「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を発売。
  • 2003年、Wink活動停止後初のソロ・アルバム『零〜re-generation〜』を発売、翌年にはライブを行う。
  • 2008年12月、『第50回日本レコード大賞』に相田翔子と二人でWinkとしてゲスト出演、「淋しい熱帯魚」を歌唱した 。
  • 2009年9月、『SEPTEMBER SHOCK 鈴木早智子』というアダルトイメージビデオに出演した。
  • 現在は舞台、ラジオテレビ番組・映画に出演しつつ、写真集を発表するといった芸能活動を行っている。1980年代アイドルが集まる番組に出演する機会も多い。
  • 2010年6月17日発売の『週刊文春』(文藝春秋)で、妻子ある俳優・津田英佑と4年にもわたって不倫関係にあったことが報じられ、同誌の直撃取材に対し、不倫を認めるコメントをする。それを受け、津田は18日付の自身のブログで不倫の事実を完全否定。さらに「記事になった方(つまり鈴木)は同じ事務所の先輩なので、もちろんお世話になってます。これからも良き先輩には変わりません」と両者の関係性の説明を加えた。両者の言い分が食い違う中、鈴木は20日付の自身のブログで「(不倫報道の件に対して)ファンの皆様はもちろん関係各位の皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけしまして本当に申し訳ありません。私が軽率に発した言動が混乱を招くきっかけになってしまったことは間違いありません」と謝罪。そして、「この度、皆様にご迷惑ご心配をおかけ致しましたことを深く反省し、自分を見つめ直すためにもしばらく芸能活動を自粛させていただきます」と、当面の間の芸能活動自粛を発表した。なお、津田の「否定」に対しては言及していない。
  • 2010年11月、初の自叙伝『負けじ魂』を出版。芸能活動復帰を発表した。
【解説】
 
イヤー、さっちんは、アダルトビデオに出演していたんですね。今日まで、全然知りませんでした。
 
それで、自叙伝「負けじ魂」というわけですか? いやー、女の人は、強いですね。




さっちんは、相田翔子が「勝ち組」で、自分が、「負け組」だといっている

そうだけど、翔子ちゃんは、青春時代共に芸能界という戦場で

戦ってきた戦友を、そんな目では見ていないと思うな。

人生、人それぞれだから、浮き沈みもある、「負け組」とか

「勝ち組」とか人が決める事じゃあないから、自分で

そのように思った時が、本当に「負け組」だと思うよ。

だから、「負けじ魂」という本を出したという事は、

まだ、自分に負けたくないという気持ちが残っているん

だから、「負け組」と決めつけるのは、ちょっと、早いと

思うよ。

まあ、私は、二人が揃って可愛かったときのWink

が輝いていたんだから、それだけでいいと思うよ。

誰もが、年取ったら、醜くなるんだから、かわいい時が

あったことを誇りに思えばいいんだよ。

そう、思うけどな? 皆さんは、どう思ってるのかな?

ZARDの坂井泉水さんにしたって、美人薄明というけど、

若すぎる死だったよね。本田美奈子も夏目雅子も、

早く逝っちゃたけど、凄く輝いて生きた人生だったから

本人は、幸せだったと思うね。

彼らのCD、新品同様の沢山コレクターとして、持っているから

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